どんな種類であってもタトゥーを入れることは個人的な決断である一方、特に宗教的なタトゥーである場合、他人がどう思うか気になるだろう。それはおそらく信仰心の強い家族に育てられた、あるいはたぶん他の信者のように熱心だからかもしれない。宗教的なタトゥーは、よくキリスト教に関連付けられる。それは、シンボルが典型的にキリスト教の教え、イエス・キリストのような人物、そして聖書の物語を描写するからである。この世界で実践されている複数の宗教において、宗教的なタトゥーは、キリスト教に限ったものではなく、イスラム教、仏教、ユダヤ教、新異教主義、そしてヒンズー教でも同様であると言っても過言ではない。しかしながら、どのような宗教的シンボルを肌に入れ墨したいと思っても、その意味、神と自分との関係、伝統など、その目的を果たしている限り問題にはならない。
従って、言うまでもなく、唯一無二の存在に対する精神的な献身にも関わらずタトゥーを入れる人々がいる。これらのタトゥーを入れた人々のほとんどは、(宗教をテーマにした)タトゥーを入れることを世の中に対して自分の宗教的信念を表現する方法と捉える。それによって、今では様々な宗教的タトゥーのスタイルやデザインを選ぶことができる。
どうしてある人々はタトゥーを入れるリスクを冒したくなく、なぜその他の人々は入れたいのかを理解するために、タトゥーに対する主要な宗教団体の異なる観点を知るべきである。これはまた一方で、自らの決断の一助にもなるだろう。
一般的に、ボディーアートに対する確立されたキリスト教の考えはない。すべてのキリスト教の宗派の中で、ユダヤ教だけ旧約聖書のレビ記を根拠にタトゥーに対する最も強い拒否を示している。
死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。私は主である。(レビ記 19:28)と書かれている。針は、皮膚の層を破るために入れ墨には「身を傷つける」ことが含まれる。そして肉が破れるとき、出血し、これは人から超自然的な力を解き放つ一般的な異教の儀式である流血に関連付けることができる。流血の悪魔と異教徒起源は、いわばタトゥーに悪名を与える要因の一つである。
ただし、巡礼のキリスト教徒の一部が、巡礼の旅に出た日付を記すためにタトゥーを入れたと主張する出来事が記録に残っている。宗教的タトゥーは、通常は小さなサイズで、前腕に入れられる。
ローマカトリック教会は、信者にタトゥーを特に禁止してはいない。教会は、カトリック教の教えに対する冒とく的なメッセージを示さない限りタトゥーを許可している。
タトゥーは、多くのアジア諸国で一般的に実践される。当然、仏教は信者にタトゥーを禁止していない。一部のタイの修道士は、安全と健康を保つことができるお守りとして考えられているのでシンボルとして入れ墨していた。
イスラム教は、タトゥーを禁止するもう一つの非常に保守的な宗教である。イスラム教徒、特にスンニ派では、いかなる形態であれ身体の切断は罪であるため、タトゥーは厳格に禁止されている。身体は、大切にされるべき神聖な場所であり、身体的変更は創造主に対する侮辱とされる。ただし、イスラム教シーア派においては、全く宗教上の問題とされない。
ヒンズー教徒は、入れ墨することを許可されている。それは自分たちの神に対する信仰を表現する方法であるので、一部のグループは文化的慣例として捉えている。多くのヒンズー教徒のインド人は、自分たちの神々への精神的変化と関係を向上すると信じているので、みけんに印をつける。
一部の女性は、外見を高めるために顔に(通常丸形の)タトゥーシンボルを入れるだろう。タトゥーは、ヒンズー教徒と部族の社会において美的要因である。それは、タトゥーを入れる文化的グループによって異なった意味と目的を示す。
異なった宗教団体のタトゥーに対するそれぞれの観点への理解がより深まって、このジャンルにおける最も人気のあるタトゥーデザインについて知ることへの興味がわいているに違いない。しかしほとんどの場合、宗教的タトゥーは、イエス・キリストや聖母マリアの顔、十字架、天使などを使用する。
そのミニマリズムとされるデザインは、シンプルな木製十字架の形状で小さめのサイズにすることができる。それは精巧なディテールを有する必要がなく、自分の好みによって、イエス・キリストの顔、または十字を囲んでいる天使とともにそれを飾ることもできる。
ケルト人は慣例によって文化的に異教徒であるが、紛れもなくインスピレーションを得られるすばらしいトライバルタトゥーを持っている。キリスト教的タトゥーを入れるつもりだが、ケルトスタイルの精巧さを加えることをタトゥーアーティストにはっきりさせておくことである。
通常の袖のタトゥーと同様に、キリスト教的袖デザインも見栄えがよい。それは聖者、イエス・キリスト、または自分が考えているキリスト教の偶像なら誰であろうが、その特定のストーリーについて表現するのに最適である。また最後の晩餐、聖母マリアの受胎告知、キリストの受難、聖ペトロの処刑のような象徴的ルネサンスの絵画からインスピレーションを得ることもできるだろう。
これは、人々に非常に明確で、賢明なメッセージを発するのを手助けできる。シンプルに聖書から自分の好きな教えを選び、タトゥーアーティストにデザインを依頼するのである。それは、一節でも、タイトルでも、自分の好みの章や節への言及などでもよい。
それはキリスト教の中で最も象徴的タトゥーデザインのひとつとみなされる。魚のシンボルについて明確な意味があるわけではないが、歴史学者によると、魚はキリストの秘密の会合を意味しているかもしれず、毎回開かれる度に、その秘密の会合の場所への道すがら、キリストはよく魚の半身を描いていた。使徒の一人が魚のデッサンを見つけたら、その使徒はキリストの道に従うように魚の身体のもう半分を描いていたという。
円形模様、天使、聖者または神の肖像画、天国の想像図、聖書、宗教の文化と教えを表すその他多くのものの中の様々なシンボルから選ぶことができる。
自分の宗教に対する強い精神的献身を担うならば、それを大々的に表すタトゥーを入れることを選ぶべきである。これは通常、背中全体を覆うことのできる大きなサイズでなされる。このサイズの宗教的タトゥーは非常に魅力的に見え、自らの信仰についての主張や信念を表すことができる。反対に、神への忠誠をさりげなく表現したい場合は、当然より小さなタトゥーを選ぶべきである。
宗教タトゥーの背景にある意味について常に意識することで、その宗教の哲学や思想を完全に信じていない場合は特にである。タトゥーは、一度入れられると身体に永久的に跡を残すので、自分の宗教に対する自らの傾倒を示す力強い方法となり得る。従って、入れる前に自分が完全にそして精神的に準備ができているか確認することである。