体の上のアート作品と見られようが、あるいはある人の歴史、信仰、結びつき、信条などを表すシンボルとして見られようが、タトゥーは、世界的な文化現象に引けを取らないとも説明できる身体改造の形態である。歴史を通して、世界中で自主的に(あるいは強制的に)皮膚の真皮層に入れ墨を入れる痛みに耐えている。
大部分の人が考える以上に、タトゥーは長く続いている。その痕跡は、ミイラ化した皮膚や考古学上の記録で示されるように、およそ1万年前の新石器時代まで遡る。入れ墨された人間の皮膚の最古の例の一つは、およそ紀元前6千年前のものとして発見された南米のチンチョロ・ミイラの上部唇にあった。
現代社会においてはタトゥーを美的選択、反抗や狂信のシンボル、そして芸術表現と見る一方、世界中の多くの先住民文化ではまだ、リーダーシップのシンボル、男子が一人前となる道の現れ、あるいは地位や肩書きを識別するしるしとして見ている。それぞれのタトゥーの背景にある象徴性は、普通、文化によって異なるが、それぞれ意味深長であるくらい美しくもある。
顔や首のタトゥー以上に目立つタトゥーは他にない。世界中で、顔と首のタトゥーは異なった意味を表している。世界中の人気のある顔と首のタトゥーのほんの一部の例を以下で示す。
ニュージーランドのマオリの人々は、伝統的にのみで肌に彫るタ・モコとして知られる身体改造の種類を実践した。多くの場合顔に入れられ、各タトゥーは、身に着けているものに特化した神聖な、先祖のメッセージを含んでいる。これらのメッセージは、その人の伝統、部族への結びつき、または社会的な地位を伝えることができる。これらの顔への刻印はまた、異性に対してより魅力的にさせると言われる。20世紀に、美術としてのタ・モコの実践は衰退したが、近年、より多くのマオリにルーツを持つ人々が文化的誇りの表現として身に着け始めるという再生が見られる。
アタヤルの人々は、台湾で3番目に大きい先住民族である。一時期、フォーモサとして知られていたこの島国は、文化と伝統が世代から世代へ手渡される先住民にが居住していた。現代まで残っている伝統の1つは、ptasanという成熟を象徴する顔のタトゥーを入れていることである。アタヤルの男性は、家を守る能力を示すために入れ、一方女性は、布を織り、家の秩序を守るのに適格であることを示すために入れる。
南インドでは、永久的なタトゥーは、pachakutharathuと呼ばれる。多くの部族民やカーストに基づくヒンズー社会においても文化的シンボルと見られ、1970年代後半に人気となった。北インドでは、永久的なタトゥーはgodnaと呼ばれ、多くの人々が現代にその伝統を受け継いでいる。あるナーチャル・プラデーシュの北東地域のワンチョ民族は、いまだにタトゥー芸術に価値を置く。男性はすべての四肢と顔にタトゥーを入れ、一方女性は、ネックレス、ピアス、腕輪と調和するように薄いタトゥーを入れる。
中国ー古代中国においては野蛮な行為と考えられていたタトゥーは、奴隷や有罪とされた犯罪者への刻印の手段となった。法律を犯したものに「囚人」を意味した漢字の囚と刻印することは珍しくなかった。その慣例は途絶え、タトゥーは、現代中国において意味を持ったシンボルよりもの意味を持った記号よりもむしろ化粧的な選択として今は見られる。しかし、雲南省怒江リス族自治州のトーロン族の女性のような少数民族は入れ墨の慣例を続けている。彼らの祖先が近隣の民族によって攻撃されていた時、トーロン族の女性は、意図的に顔に入れ墨して襲撃者が避けるようにした。やがて、その慣例は成熟を象徴するトーロン族の女性通過儀式となる。
時が経つと、タトゥーは単に伝統を象徴する以上のものになっている。世界中の人々は、顔と首のタトゥーをおしゃれではあるが、それでも意味を持ち、永久的なボディーアートの一部であると見始めている。タトゥー全般への見方が変化している。こ
今日のタトゥーへのアプローチは、数十年前からは異なっている。人々を包んでいた永久的なタトゥーへの偏見は、徐々に解かれ、社会はより受け入れるようになっている。
有名人は、タトゥーへの社会的見方に大きな影響を与えていたし、与え続けている。世界中の俳優やミュージシャン、アスリートは、映画やテレビ番組で自らのタトゥーをはっきりと見せ続けている。その結果、顔と首のタトゥーは益々人気となっている。
タトゥーを入れるか決める際に、忘れてはならない最も重要なことは、あらゆる意図や目的において永久的であるという事実である。今日のタトゥーは、レーザー処置で取り除くことができるが、その施術はそもそも高価でタトゥーを入れるよりも格段に痛いと言われている。タトゥーが個人的な意味を持っていようが、あるいは伝統によって個人に与えられたか、または単に化粧的な選択だったかに関わらず、一つ確かなのは、タトゥーは浸透しているといことである。